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悲劇の外交官

アメリカに住んでみて、日本はどうしてこの大国と戦争してしまったのだろうとよく考える。戦前、戦中の日本の外交を指導したのは、松岡洋右と広田弘毅であろう。松岡洋右は自信家で上昇気運が強く、ハッタリやで日本をナチスとの同盟に導いた。国際連盟脱退、日ソ中立条約など、彼が目指した方向はことごとく日本の国益からははずれ、日本を破滅に導いた責任は重い。極東裁判では無罪を主張し、死刑になる前に病死した。 松岡と正反対だったのが広田弘毅で、彼は戦争反対論者だった。中国との戦争を終結しようとし、軍部を押さえようとした。しかし、狂気の最中にいる軍部を誰が押さえる事が出来ただろうか。彼は極東裁判で軍部を押さえる事が出来なかった責任の為死刑を言い渡される。広田は自らの弁明を一切しなかった。国が滅びた責任を無言で甘受した。広田は家族思いで、外交官は名門の家柄のお嫁さんをもらうのが普通だった時代に、極貧家庭の女性と結婚し、二人は一生の間、深く愛し合っていた。広田に死刑判決が出た日、この奥さんは自殺して広田が心のこす事なく死刑をうけれるよう取りはからった。日米同盟となった今でも、広田弘毅に対する死刑判決は理不尽と感じる。


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